a happy ending

お昼ごろ病院に詰めていた母から連絡があり、今晩を越せるかどうか分からないと言われたので、日赤に叔父の見舞いにいきました。以前書いたように叔父は治療行為を一切せずに、緩和ケア科というところで肉体的な痛みの除去だけしてもらっていました。
ほんの数日前までは残された家族の今後をどうするかや、自分の葬式をどうするかについて普通に議論できる体力があったらしいのだが、自分が病院についたときは既に呼吸をするのが精一杯という状況でした。点滴等を使って栄養を摂取しても、すべて癌細胞に吸われてしまい逆効果になるらしく、叔父の体には鎮痛剤用の管が手元に1本あるだけで、綺麗な体でした。ただ、栄養を取らないせいで肉体は急速に衰えてしまい、半年前の面影は無くなっていました。
その後、集まれる親戚が全員集まり、家族に見守られるなかで叔父は息を引き取りました。世田谷にある育った家に叔父を安置し、葬儀に関する手続きを終了してこの日は解散。帰宅したのは午前6時くらいだったでしょうか。
緩和ケア科では肉体的な痛みをモルヒネなどを使って取り除いてくれますが、自分がこの世から消えてしまうという精神的な恐怖・痛みに関してはフォロー仕切れません。インフォームド・コンセントに基づき、あなたは後数日の命です、とは伝えてくれるそうですが、それは患者を追い詰めることにはなっても、安らげることにはならないでしょう。
経験してないから言える、身勝手で独りよがりの意見なことは100も承知ですが、死ぬ過程に肉体的な痛みが伴うことは必ず悪であるとは言えないような気がします。今後、医療がさらに発達して痛みを完全にコントロールできるようになるかも知れません。少なくとも現在よりは少なくすることが可能になるでしょう。肉体的な痛みのないままに、痩せ衰えていく自らの体を認められるほど人間は強くなれるのでしょうか?『悪いのは痛みじゃなくて、傷だ』って台詞を思い出したりしました。
叔父さんのご冥福を祈ります。