合理的人間なのか

経済学のメジャーな考え方の一つに合理的経済人というものがあります。厳密な定義とかやるとアカデミックな話になるんで、こっからは雰囲気重視でこの単語を使わせて貰います。それは言葉の濫用だと思った方、諦めてください。
今、周囲の人間が必死に就職活動をしてる一方で、日々をぼんやりと過ごし世俗的な享楽に興じてる自分は合理的なのでしょうか?答えはYESでありNOでもあります。
控えめな表現をしても、かなり多くの人が俺の生活をみて馬鹿なことをやってるなと思うでしょう。数年後に自分が生きていてニートでもしてたとしたら、今の俺を振り返って愚かな事をしてたなぁと嘆息するかも知れません。真面目にやれば就職できるのに、就職活動もせずにこんな駄文書いたりしてる俺は非合理的である、と判断する可能性がある人間は五万と居ます。
我ながら回りくどい表現を用いてますが、非合理的であるという判断をする可能性が無い唯一の人が居ます。今、ディスプレイの前で、この文章をタイプしてる、俺だけが、自分が合理的であるとフォントを大にしていえます。俺には現在の努力というコストは実感できても、将来得られるであろう収入などの利益は時間選好率*1で実感できません。今やるゲームから得られる利益はその場で実感できても、将来失うかもしれない可能性は無限すぎて測定できません。
さて、そろそろお気づきでしょうか?今日のエントリーは『合理的』という単語を捏ね繰り回して遊んだだけです。微妙に経済学の都合のいい単語もスパイスとして加えました。最近たまに思うんですが、俺理系に行ってた方が良かったかも。自分の脳内だけで都合の良いロジック組んで、精神の安定化を図る薬を調合するのに長けてる気がするんだよね。毒と薬は紙一重。良薬口に苦し。何とでも言ってください。

*1:簡単に言うと近い未来のことは大きく感じて、遠い未来のことは小さく感じること。google辺りで調べてみよう