理想と努力

先日遊びにいったU君は和弓をやってるんですが、一度やってみたいなと思ってます。何となく印象として、今俺が大好きなビリヤードと弓って似てると思うんですよ。的があってそれを狙うってだけじゃん、って言っちゃうとあまりにも表面的すぎるけど。
もうちょっと掘り下げると、自分が理想とする玉の軌道や弓の軌跡が割と明確に脳内には存在し、後は現実をどこまでその理想に近づけるかという問題だと思うわけです。弓はやったことないんで、ビリヤードの方でしか語れませんが、本当に自分が思い描いていたように球を撞けることなんて、10回に1回くらいしかありません。残りの9回は、撞き終わった後で自分の不甲斐なさに凹んだりします。そして、何が悪かったのかを振り返るわけですね。そもそも狙う場所が悪かったのか、ストロークがぶれてて狙った場所に球がいってないのか、グリップを握りこみすぎたのか…etc そして、次に撞く時には自分の中でここが悪かったのではないかという仮説を立てて、それを検証するわけです。理想に向かって努力している状態と言えるでしょう。
反復練習による肉体の改造を通して目標に向かう水泳や短距離走の努力とは、少し努力の質が異なる気がします。優劣をつける問題ではないけど、俺に合ってるのはビリヤード型の努力みたいですね。そんな風に考える理由は、単に自分を理想に近づける為に必要なコストが、ビリヤード型の方が少ないように思えるからかも知れません。でも、もう一つの理由として、速く走る自分と、球を思い通りに撞く自分とを比較した時に、後者の方が性に合ってるからってのも考えられます。
さて、今自分は人生の一大過渡期に居ます。幼稚園から数えると19年間続けてきた、学生という身分から離れなくてはなりません。明日試験があるわけですが、間違いなく落ちます、てか落ちました。もし、大学院生である自分というのが自分の理想の姿であるとしたら、それに向けての努力はそこまで苦労ではなかったかも知れません。
まぁ、実際に理想の自分なんてものを持ってる人のほうが少ないでしょうしね。はいはい言い訳言い訳ってことで、今日のところはおしまい。