変な都市、落ち着く街、根が生える椅子

東京で高いところに登った時、東京から郊外へと伸びる電車に乗った時、そして東京以外の都市に行った時、シミジミ感じる。東京はなんて変な都市なんだろう。どこまで見渡してもずーっと家家家。地平線の彼方までひたすらに人が住む家が立ち並んでるわけだ。勿論、実際には会社とか工場とか商業施設も立ち並んでいるが、基本的には家である。
この事を初めて意識したのは高2の時に姉とイタリアへ2週間ほど旅行した時だろうか。ローマで電車にのったらあっという間に長閑な景色が車窓に広がった瞬間だったと思う。井の中の蛙は大海を知らずの逆。生まれも育ちも東京だったから、自分が住む都市が変だとはあまり意識しなかった。でも、多分世界には東京以上に延々と人が住んでいる場所もあるんだと思う。そこに行けば今俺がもってる考えも変わるんだろう。
東京で暮らして22年。過去に2回引越しをしたことがあり、今の区には小2以来15年間近く住んでいる。小2以前住んでいた目黒区は、まだ幼くて行動範囲も広くなかったこともあり、あまり記憶に残っていない。幼稚園までの道や、近所に生えていたよく食べたびわの木や、自転車の練習をした駒東のグラウンドなど断片的に覚えていることはあっても、街を歩いた時に見える映像を頭の中で再現することなどはできない。
でも、今住んでるこの街なら、小学校や友達の家、図書館や駅から食べ物屋に至るまで、そこへの道と道中の風景を頭に思い描くことができる。勿論この15年間で変わった所も数多くあるわけだが、そんな変化も含めてこの街は自分の中で生きていて、だからどこよりも落ち着くんだろう。
ひねもす部屋のパソコンに向かう日々。目に見えないラインを通して、無限に広がっていて、猫の額よりも狭い世界と向き合う日々。この日々が俺にもたらすのは安息なのか、腐敗なのか