薦めるということ

風呂入りながら『薦める』ことについてぼんやり考えてたんで、結論すら無い文章を悶々と書いてみる。
前にどっかで見たんだが、オタクは『薦める』ことが好きらしい。なるほど、と我が身を振り返って納得した記憶がある。オタクという言葉に対して個人的な拘りがあるけど、今日の本筋とは関係ないのでニュアンスだけ掴んで貰えれば十分。で、自分も『薦める』行為がどうやら好きらしい。けど、これがとても難しいことなのだなーというのが、多分今日のオチになる予定。薬にも毒にもならないのが既に見えてるね。
『薦める』を2分して考えてみよう。つまり、不特定多数に向けてか、特定の個人に向けてかで。以下めんどくさいんで『薦める』人をA、『薦められた』人(達)をB、『薦められた』モノをCで置き換える。Cが人間だと話がめんどくなるんでパス。状況はAがBにCを『薦める』となる。代名詞って便利!


対不特定多数の『薦める』は、例えばこの類のblogで自分の好きなCDを紹介して、『凄く良いから、みんなも聴いてみてね♪』的な形をとるわけだ。でも、Bに強く伝わるのは、Cの良さよりも、Cを良いと思うAの趣味嗜好なんじゃないだろうか。
あちらこちらでレビューや感想の形をとった『お薦め』が氾濫してる世の中じゃ、Aに強い興味を持ってる人か、Aと趣味が近いことを理解してる人か、色々な意味で余裕のある人じゃないとイチイチ反応してられない。
別に『自己顕示欲が透けて見えるんだよ!』とdisりたいんではない。自分の好きなモノを好きな人が他にどんなモノを好きなのか、という探し方はネットじゃ効率的だし自分もよくやる。
不特定多数に『薦める』行為は、法やら公序良俗やら倫理に反したものを『薦める』ことさえしなければ、最悪でも無反応という結果に落ち着くだろう無難なものだ、というのがここまでのまとめ。


一方で、特定の個人にモノを『薦める』のは、『この本面白いと思うから読んでみない?』とか『この曲すげーいいんだぜ』といった、コミュニケーションが一例だ。この『薦める』の難しさは、人にモノを薦めたことがある人なら容易に想像が付くんじゃなかろうか。
勿論この場合でも『俺はこういうのが良いと思うんだよね』的なAのBに対する自己アピール要素もあるんだろうけど、もっと重要な要素が出てくる。BとCとのマッチングだ。
CがBにとって全く魅力的じゃなかった場合、BのAへの印象に負の影響を及ぼす可能性がある。『こんなものが自分に合うと思っていたのか』と、Aの自分に対する理解の浅さをBは嘆くかもしれない。逆に、CがBにとって素晴らしいモノであったなら、『Aはこんなにも自分のことを理解してくれてるのか』、と、Bは喜ぶだろう。
BとCの相性が、AとBの関係に影響するのがポイントで、Aはそれを常に意識して動くのが望ましい。と、ここまで書いて気が付いたが、プレゼント選びが難しいと言われてるのと一緒の理屈なんだろな。したことないから気づかなかったわ…
『薦める』特有のAの行動原理としては、Bにぴったりと思うCを選ぶか、Cにぴったりと思うBを選ぶかだろう。前者の場合AはBに好意があり、後者の場合AはCに愛着があると言い切るのはちょっと乱暴か。ただ、オタクが『薦める』のが好きという言説は、後者の場合で、AがBのチョイスをミスることが多いから、皮肉を込めて生まれてきたんじゃないかね。
書くのも飽きたし、特定の個人に『薦める』って難しいよねで駄エントリー終了。