「現在」「過去」「未来(将来)」

第14回、今回のテーマは『「現在」「過去」「未来(将来)」』
お題は @miyabi423 より頂きました、ごめんなさい
お題を貰った時に、テーマがヘビーだから逃げるかもと布石は打っておいたので、あんまり具体的な行動や経歴については触れずに、書き進めていこうと思う。どういう思いで、どんな人生を過ごしてきたかを書くのは不可能ではないだろうけれど、日経朝刊の『私の履歴書』みたいなのを書くような人物でもないし、既に散々垂れ流しておいてなんだけれど、他人が読むコンテンツとして自分の半生を提供したいとも思わない。
3つのワードがあるけれど、「過去」と「現在」、「現在」と「未来」の2つに分けて書いてみる。


自分の「現在」が「過去」の積み重ねでしかないというのは疑うべくもない。ADVゲームで違う選択肢を選べば、違う結末を迎えるのと同じで、過去の自分の選択や行動が今の自分を作り上げた。でも、あの時にあーしてれば良かったなと考えることは、自分は余り無かったりする。「現在」の自分を否定するのに好都合なのは「過去」の自分を否定することなんだろうし、現状が世間的に賛美されたものから程遠いことは知ってるが、それでも当時の自分のあの選択が失敗だったなとはイマイチ思えないのだ。
これには多分2つくらい理由があって、1つ目は現状がまだまだ切迫してないこと。真の意味で後悔するのはもーちょい先なんだろうと思う。どう切迫してないかは個人情報が絡むので省略する。もう1つには、過去にクリティカルな選択肢が存在していたと、そもそも認識できてないというのがある気がする。ノーヒントで道が左右に分かれていて、左の道を選んだらバッドエンドなんて酷いゲームが昔あった気がするが、現実の選択肢はそんな分りやすくはないし、日々の小さい行動の積み重ねに依存する部分が大きい。
要するに学習できてないのだろう。


次に「現在」が「未来」にどう影響するかだが、こっちに関しては予測とか計画とかが重要になってくると思う。文字で重要だとか書いてるけれど、現実だとサッパリ活かせてないせいで、こういう文章を書く羽目になってるが、赤の他人には知ったこっちゃないだろう。真綾のYCCMツアーで『ボクらの歴史』という曲がセトリにあったのだが、その中にこういう歌詞がある。

明日のことはよくわからないそれでも
未来のことなら分る

久々にこの曲を味って、誰かさん曰く"無防備"な歌詞にゴリゴリとLPを削られたのだけれど、自分の場合は『明日』と『未来』が逆になっている状態だ。というか、世間的にはそういう人のが多いんじゃないだろうか。明日に自分が何をしてるかは想像する力はあるが、1年後の自分が何をしているかを想像する力は自分にはない。ライフデザインだとかいって10年後、20年後の自分の理想の姿を思い描いて、それに繋がるように1日1日を組み立てるべきだなんてのが巷にありふれてるが、はいはいそーですかという感じで脳を素通りしていく。
多分、中学生くらいの時だったか。自分の人生で、何が幸せだろうと自問した時の答えが『今日と同じような明日があることを確信できる時』とかそんなニュアンスだった。この段階で致命的なまでに保守的な嗜好を持っていたのだから困ったもんだ。そして、それから10年以上経った今も、根っこの部分は変わってはいない。ただ、当時と今とで明確に違うのは、昨日と今日は限りなく同じに見えるけれど、0.01%くらい劣化してるということを認識できていることだろう。熱湯に蛙を投げ込むと飛び出るけれど、水に入れて徐々に加熱するとタイミングが分らず茹で上がるとかいう、どっかで聞いた風説と同じ構造だ。
お茶を濁して終わるはずが、なんか痛い文章が増えてきたので、そろそろ締めようと思う。自分という人間の性格は80年ものスパンを生きるのには向いてない気がする。毎朝生まれて、寝るときに死ぬくらいが丁度いいんだろう。真に切迫した時に自分がどういう行動を取るか、薄々と想像は付いてるんで、そうならないようにしないとねー
SWfTAの記録38:00