そんなものに意味は無い

どうせ誰も使ってやしないmixiに更新通知が飛ぶ程度の、twitterなんかよりも今となっては遥かに人目に付かないだろうこの日記に、適当なことを書けやしないのなら、一体どこにクダラナイことを書けばいいんだという思いで手を動かす。頭の悪い日本語になるのは、頭が悪いから当然なことで、推敲とかメンドクサイ作業は知ったことではない。140字よりも多く書ける場所、とはいえ数分で書き終われる気軽な場所として、自分の中で復権せねば。
2014年最初のエントリーだけれど、2013も振り返れてないし、振り返る気力も意志も無いので、この1文に留める。
2クール目に突入してから高い評価を下してる感想を散見してたのと、たまたまニコニコで振り返りの一挙放送をやっていたので「凪のあすから」を15話目まで見た。出てくる主要な登場人物が全て誰かに恋しちゃってる、色んな意味でファンタジーな恋愛モノだけれど、舞台設定が美術的にもシナリオ的にも見事なので、そこまでダレることなく見れた。
去年見たアニメの中で一番好みだった「神のみぞ知るセカイ」の女神編にも言えることだけれど、登場人物が動くに足るだけの説得力がある環境構築って大事だと思う。逆に言うと、そこさえしっかりしてれば、多少の粗があっても物語は勝手に進んでいくし、興を削がれることも少ない。擬似的な記憶喪失はシナリオとしてズルイと思うけれど。
色彩や美術のポップさが、何角関係だかよく分からないゴチャゴチャした人間模様と上手く中和して不思議な安定感をもたらしてる。けれど、数十年後の人がこの絵を見たら、当然のように古臭く見えるのだろうし作品から受ける印象もかなり変わるのかね。生きてたら見返してみたい。