LIVE TOUR 2011 "You can't catch me" @Zepp Sendai

ツアーファイナルに遠征してきたので軽くレポ。少し前に書いた、既に正視に耐えない駄文のオチも含む。ライブ前後の話は基本的に書かないつもりだけれど、とても有意義な話を聞けたのは行って良かったと思うことの1つ。

いつもの

会場のZepp Sendaiを利用するのは2年前のFCイベント以来。仙台駅の周辺は節電の影響を見て取れるけれど、震災の爪跡が痛々しいということは無かった。3ヶ月の月日は確かに過ぎたんだろう。前売りチケットも完売して、1Fの後方の立見席の部分は扉の近くまで人で溢れていた。当日券として2Fの立見席も販売されてたけれど、そっちはそこまで混んで無かったかも。
自分は2Fの下手寄りから見てたけれど、程よい距離と高さだったと思う。箱のサイズもあって、ステージ中央の真綾の方向を見てると、自然にバンドメンバー全員が視野にスッポリ収まる具合だった。今回のツアーとバンドメンバーとは切っても切れない関係なので、全体を見ながらライブを味わえたのは良かった。
といっても、真綾の表情を確認するのに双眼鏡を多用してたので、明らかに会場では浮いていただろう。真綾と何度か目線が合ったけれど、表情には出さなくてもアレだったろうな。小さすぎる会場というのも、そういう意味じゃ良し悪し。遠征組だという気兼ねもあって、空気になるつもりで、なりきれなかったかもという反省。
2年前と同じく、今回のZepp仙台もPAが素晴らしく良かった。GNSが聴きやすかったのは、下手すればツアー通して初めての経験だったのかも。セトリ冒頭のYCCMのアップテンポナンバーもバランス良かったし、同じZepp系列でも札幌とは大分違ったらしい。PA関係のお仕事をしてみたいと、小学生の将来の夢レベルでたまに考える自分には、理想的な空間だったことは確か。

本編

セトリは国フォの2日目と同じ。途中でPA卓にあったセトリ表を盗み見て、アンコール曲目を知ってしまったのだけれど、事前の予想通りだったので問題なし。ツアー通してそれなりな回数を聴きこんできたので、セトリに沿った感想ではなく、思った事を箇条書きにする形で。

  • 主に真綾の表情とMCに注目しながらライブを味わっていた。ピッチに注意を払って歌うときや、かなり高い音を出す時は、目を閉じてたり、俯き気味だったり、眉をひそめがちな真綾なのだけれど、その分だけ曲終わりや何気ないフレーズの時の穏やかな笑顔が印象的。
  • 個別で特に印象に残ってるのは、1曲目の『eternal return』が終わったあとでマイクに声が乗らないながらも、唇が『ありがとう』と小さく動いたこと。別に読唇術は会得してないから、間違いの可能性はあるけれども。あと、『美しい人』の時の視線を動かさずに遠く一点を見つめる感じが、船乗りや巫女のイメージと重なって良かった。
  • コーラスのハルナさんがノリノリで、『GNS』の時なんかコーラス関係ないとこでも思いっきり歌ったり(マイクには乗らないように)、エアーギターしたりと輝いていた。メンバー紹介のMCで『(中島美嘉さんと)どっちが好き?』と煽られたからかどうかは知らないけれどw ツアー終了後に自身のブログでも"生涯忘れられないツアーだと思う"と書いてらしたので、十分すぎるお答えを貰ってるんじゃないでしょうか。どっちがとか関係なくね。
  • 『秘密』の間奏のドラムソロが素人の自分でも分かるくらいに違うものになってた。確かにいくらでもアレンジはきかせられるんだろうな。『約束はいらない』の間奏ドラムもかぜよみツアーを思い起こさせるかっこよさだった。同じアレンジ面だと『ピース』での千ヶ崎さんのベースもアドリブ感が増していた気がする。ツアー通してずっとかも知れないけれど、この日は耳に止まった。
  • 『光あれ』の「満ちあふれ」の後で会場が拍手に包まれるという、貴重な体験をしてしまった。その後の「手を振ってくれないか」からリズムに合わせて手を振り続ける人たちも居たし、こうやってアーティストのライブでのお約束みたいなのが出来るのかなーと思ったり。『光あれ』のそれらが今後も続くかどうかは知らないし、それが良いか悪いかも知ったこっちゃない。2ch辺りの議論の種にはなるんだろうけれどね。
  • 本編のしっとりパート後の衣装が、聞くところによると大阪以来2度目の、不思議の国のアリスライクの青ベースで肩やら膝やら露出してる奴で、着替えた瞬間に会場中から可愛いの声が飛び交っていた。ツアーを通して衣装のバリエーションが豊富だったのは、全10公演を意識してのちょっとしたアクセントだったのだろうけれど、もし40もやってたりしたらコーディネート写真集が作れたかもね。
  • お客さんの反応にも注意を払ってたのだけれど、何割が遠征で、何割が地元付近の人かは分らないながらも、終始暖かい感じで安心した。普段はアンコールの時の”アンコール”コールとか苦手なんだけれど、この日はもっと歌声を聴きたいんだろなーと落ち着いて受け取れた。
  • MCに関して。あるいは坂本真綾なら、今まで誰の口からも聞いたことのないメッセージを被災地の人に届けるかも知れないと、ほんの少しだけ期待していた。でも、震災に関して私がみなさん以上に喋れることは何も無い、という一歩引いた立場を崩すことは無かった。FCイベでお馴染みの金のフカヒレ寿司を仙台に前日入りして食べたトークから、被災地の美味しい物に対してお財布の紐を緩めようという流れに持っていったり、ポストカードやクリアファイル売上の赤十字寄付話が無かったりと、細かな違いはあったけれども(後述するポケ空話も)、基本的なスタンスは震災後の各会場と同じだったと思う。ただ、同じセトリでも一番長い公演時間だったことからも分かるように、MCに割く時間がどこよりも長く(ツアーラストだからという事を一応は言ってたが)、来てくれた人への感謝と、ステージに立つ喜びと楽しさを繰り返し口にしていた。
  • 『ポケ空』と『風待ち』って、このツアーにおいては非常に近しい関係にあったのかなと、仙台公演のMCを聴いて思った。どちらも、ポジティブな感情の伝播を願って歌われたのかなーと。
  • 自分の位置からは確認できなかったけれど、アンコールの途中から北川さんは男泣きしてたらしい。最後のポケ空が終わった後に、紙吹雪が降り注ぐ中でメンバー全員がハグしあってる姿は感動的だった。バンドメンバーにtwitterをやってる人が多く、リハーサル開始から彼らの呟きをまとめ続け*1、ライブツアーを最後までやりきるという気概と、終わってしまうのが寂しいという苦い二律背反を眺めてきたので、より一層くるものがあった。

ポケ空アンサー

仙台公演の『ポケ空』前のMCでストレートに答えてもらったので、厚木のパンフインタビューに引き続いて感心するやら腑に落ちるやら。お前なんかの考えてることは、まるっとお見通しだというレベルの回答だった。僕があの駄文で何が言いたかったのかといえば、感情論的には"仙台終わるまで浮かれずに真綾を見守ろう"、もしくは"真綾にあんまり重荷を背負わせたくない"だし、もう少し真面目に言えば、あの場でポケ空を歌うことにどんな意味があるのかという疑問だった。
もしかして今までのツアーの『ポケ空』は録音されていて、Zepp Sendaiでは流れるんじゃないかみたいな推測もあったけれど、仙台の『ポケ空』は特別なサプライズもなく和やかなまんまに終わった。当たり前ながら真綾の表情も穏やかだった。真綾自身がMCの後で”難しいこと”と流したその内容を、大体こんなだったと思うって程度でざっくり書いてみる。10月にリリースされる予定の、ライブツアードキュメントの方で補足してくれたらラッキーなのだけれども。

震災後のツアーでは、サビだけじゃなくて歌えるところは全部歌って欲しいと言ってきた。演奏のアレンジも歌声が聴こえ易いように変えてもらったし、みんなのいい気持ちや楽しかったって歌声を自分が仙台まで届けてくる、と言葉にしてきた。あの地鳴りのような歌声は聴かせることはできないけれど、みんなには想像して欲しい。
実際には届けられないのに、なんでそう言ったのかというと、みんなが集まって大きな歌声を作り上げるという体験が次の行動に繋がるんじゃないかと思ったから。一人一人がそれぞれの日常をちゃんと過ごしてくれたら、いつの日にかここまで届くかもしれない。

と、こんな感じだったと思う。"体験"って単語を使ってたのが凄く印象に残った。二枚舌だとか言えないでもないし、結局は坂本真綾の掌の上で踊ってた気もするし、また日常かとネガティブになることもできる。けれど、不必要なものまで背負って潰れたりするよりは、これくらい強かな方が個人的には有り難いかな。当然、届けたいという想いもあるのだろうけれど、現実をある程度は見据えてる絶妙なMCだったと思う。この人には敵わない。

You can't catch meツアー

3月5日に厚木で始まったツアーもついに終わってしまったので、最後に総括して筆を下ろそうと思う。自分は厚木、中野2days、国フォ2days、仙台の6会場に参加したけれど、6/10はちとやりすぎた感じがするんで、2daysの所は1回でよかったとも思う。でも、行けるのに行かないのが勿体無いと思ってしまう貧乏性。好ましい表現にはならないけれど、結果として1部から3部まで全て参加したので、それを踏まえての感想等を書いてみる。というか、今回のツアーに言及するのに震災の影響を除外するのは無理だろう。
今回はあらゆる場面で覚悟が必要なツアーだったと思う。会場に足を運んで歌声とMCを受け止めるのですら、ある種の覚悟が必要だったし、ましてやあの状況で公演を再開して、6月の仙台までやり遂げた真綾はどれほどの覚悟を要したのか、僕には想像するのも難しい。けれど、MCや携帯サイトのブログの文章、あるいはラジオで喋ってた事から、軸になりそうなアイデアがいくつか見えてくる。


1つには、支援をする立場について。ともすれば被災した人の話題にのみ終始してしまうけれど、実際には被災してない地域に暮らす人々の方が圧倒的に多い。今回の大規模震災みたく色々な人々の協力が必要となる時は、支援する側に働きかける事が、長い目で見ればより効果的じゃないかという考えに彼女は至った。自粛ムードの漂う3月末に、名古屋や大阪、東京といった地域で行動を開始したのは、比較的に余裕のある人々にこそ歌や言葉を届けるべきという、良い意味での打算が働いたのだと考えてる。
支援をする人が萎縮してしまっていたり、悲しみにひたっていては、支援をすることも覚束なくなるから、日常を続けることに躊躇いを覚えたり、楽しむことや喜ぶことを恥じたりしなくてもいいんだと、あそこまで真っ正面から言葉に出来る人ってなかなか居ないと思う。考え方としては一理も二理あると思うけれど、自分が楽しんでることがしっかりと周囲に対してプラスの影響が及んでるかどうか、常に批判的に内省していかないと足を掬われる危険性もある。あの2本の文章を読んだ時に、この人になら付いていっても大丈夫じゃないかと、そんなことを考えたりもした。茶化してるようでアレだけれど、まるで信仰だね。


もう1つの軸となるのは、少し意味合いがぼやける単語を使ってしまうけれど、娯楽を作り出す仕事、だと思う。震災直後から1週間程に渡って殆どの仕事がキャンセルになってしまい、自宅に篭って被災地の情報を見たり、色々と考えてたりしたと語っている。それは穿った見方をすれば、人間が生きていくのに絶対に必要なものではない、娯楽と呼ばれるものを仕事にしていることを思い起こさせる時間だったかもしれない。勿論どんな仕事にだって代わりはあるし、真の意味でのライフラインに関する仕事なんて、この世の中には限られてるかもしれないが、それでも自重・自粛といった単語が真っ先に適用されるのが娯楽だろう。
被災地にはまだ音楽よりも必要なものが沢山あると言葉にした坂本真綾は、それじゃあ娯楽の無力さを嘆いたのかといえばそうではない。"支援をする立場"とも密接に関係があるけれど、娯楽が持つパワーの特徴は、一度に多くの人へとポジティブな思いを届けることが出来る点であり、それをフル活用することが自分の役割だと考えているように思えた。娯楽を娯楽として楽しむ余裕がある人の所で、自分がポジティブな連鎖の起爆剤となることが、長い目で見れば被災地にとって大きな力になるかもしれないというのが、彼女をツアーの再開へと駆り立てた最大の動機じゃないだろうか。
勿論、そこに絶対の正解なんてありえないし、震災という非日常を強いられている人にとって、娯楽という日常を色濃く匂わせるものが精神的な救いになることもあるだろう。終演後に仙台住まいの友人に被災直後の状況を聞いてる中で、娯楽というものが時と場合によって、どのように作用するかという話をしたが、とても考えさせられる内容だった。真綾はツアーを最後までやり遂げることで、震災に負けないという想いを伝えたかったとブログで書いてたけれど、震災という非日常に対して日常を貫こうとするのは、エンターテインメント産業に身を置く人としてのプライドもあるのかなと思ったりした。

最近、tookamixというふざけた名前で、坂本真綾のノンストップメドレーを作ってみようかと作業してるけれど、YCCMの楽曲をはじめとして、ライブで演奏された楽曲を聴くたびに、ライブのアレンジや光景を思い出したりする。YCCMの世界をより深く味わってもらうために始まったこのツアーだけれど、終わってみるとYCCMに留まることなく、より深く坂本真綾のことを知った気になるツアーとなった。映像作品のリリースは残念ながら無いようだけれど、10月に発売予定のツアードキュメント写真集が今から楽しみだ。
坂本真綾、バンドメンバー、ツアースタッフに感謝を。ライブに参加した人、参加しなかった人、ここまで読んじゃった人、お疲れ様でした。

*1:http://togetter.com/li/104163 これとその他2本