WEBでのやりとり

第13回も書いてしまう。テーマは『WEBでのやりとり』
お題は自分で。これはコラムというより懺悔、謝罪、若しくは言い訳かな
上のエントリーとも密接に絡む内容なので、まとめて書いてしまうことにする。
WEBを使っての日常的なコミュニケーションツールとして、自分はIRCskypetwitterの3つを利用している。それぞれのツールで目的や相手が異なるので、一概に言うことはできないのだけれど、特にIRCskypeでチャットをしている時、リアクションをどの位の間隔で返すかに関して、自分はかなりムラがある。流石に質問に対しては、気づき次第それなりに返答するようにはしているけれど、こちらのリアクションを期待しての微妙な話題振りや小ネタに関しては、興味を惹かれない内容だったりすると酷く反応が遅かったり、下手すると無反応のまま終わったり、全く関係ない話題を投げ返したりする。
ムラがあると書けば聞こえは悪くはないが、1:1でのコミュニケーションにおいてのこの反応の鈍さは、相手によっては許容できるものではないだろうし、実際に面と向かってブチ切れられたことは記憶にないけれど、もうこいつはいいやと切られた事はあるんじゃないかと思う。ここらがユルイというのがtwitterの良い所だという論調を昔はよく目にしたが、最近は鳴りを潜めている気がする。
これは、コミュニケーション力以前の問題かもしれないし、正しい意味でのコミュニケーション力の欠如なのかもしれない。自分は社交性という単語が一番相応しいと思っているが、結局は言葉遊びなのかもしれない。問題はお互いの感情と、会話の進行の妨げになるか否かだ。そして、このエントリーで自分が言い訳したいのが後者の点である。
実際に誰かと顔を突き合わせて会話してる最中に、急に片方が何分・何十分も席を離れれば、戻ってきたとしても、スムーズに会話を再開するのは無理があるだろう。なぜなら、中断する直前までどういう風に会話が進んでたかを忘れてしまうからだ。けれど、大抵のチャットツールにおいては、それまでに話してきた内容がログとして可視化され、一目で流れを振り返ることができる。このログ機能は、中座する側にとっては便利である。中座される側にとっては堪ったもんじゃないだろうが。
冒頭で謝罪だのなんだの書いた割には開き直ってるだけじゃねーか、という気がするけれど、基本的に自業自得の話なので、自分で治そうと思わない限り治らないだろう。表情も見えなければ、声色も分からない、そんな文字だけによる即時的なやり取りは、便利な反面、色々な誤解や衝突も産み易い。気をつけて使いたいものである。
早く、人間になりたい
SWfTAの記録25:09