真綾かぜよみツアー/ポエム編

かぜよみツアーレポのラストとして、最初で最後になるだろうポエムタグも付けて坂本真綾を語ろうと思う。
先に断っておくが、以下は坂本真綾に関する考察ではない。坂本真綾に関する自分語りだ。誰かに賛同を求めるものでもないし、読んでも得られるものは坂本真綾に対する理解ではなく、とーかみに対するそれである。
その事を承知した方だけ"続きを読む"をどーぞ



名阪のレポで書いたように、『風が吹く日』と『パイロット』は自分の中で衝撃だった。『風が吹く日』はグレフルの中で1,2を争うほど好きな曲だし、『パイロット』に至っては真綾の全楽曲の中で3本の指に入るくらい好きだったりする。なのに、あくまでも自分にはと注釈を付けておくが、ちっとも真綾の声が心地よく無かった。

名古屋の時は、年始に罹ってたらしい風邪で喉が本調子で無いのかと思ったり、PAの調整が悪いのかと疑ったりもした。実際に名阪のPAは良質では無かったという意見も見たが、『奇跡の海』の伸びやかな声を聴く限りだと、真綾の歌声が自分に合わないと考えるしかなかった。
大阪から帰る深夜バスでは、アルコールのせいで寝付けなかったので、真綾の全ての曲をシャッフルで聴きながら『自分は真綾の歌と声の何が好きだったのか、或いは好きなのか 』と自問自答していた。


そこで得た結論とは、『真綾の声は変わった』という当たり前のものであった。
16歳から歌手活動を始めて、今や28の坂本真綾である。デビュー曲からは12年の歳月が経ってるわけで、女子高生の頃と全く声が変わらない方がおかしいのだ。何をそんな寝ぼけた結論を得て悦に入ってるんだと思う人もいるだろうが、個人的には笑って済ませられる話ではない。

少し古い話になるが、真綾を聴き始めたのはハチポチがリリースされた時である。その頃よく聴いていたラジオ内の宣伝でアルバムの存在を知り、早速本人のラジオ『坂本真綾I.D.』を聴いてみたら、ハチポチグランプリという企画をやっていた。単にハチポチに収録されてる楽曲の人気投票なのだが、そこで聴いた『Active heart』と『パイロット』の歌声が琴線に触れ、アルバムを入手し延々と聞き込んだ。ハチポチに収録されている『CALL YOUR NAME』は、出会って8年経った今でも、自分の一番好きな曲だ。

ここらから段々と他人には説明しづらくなってくるが、自分は何よりも声が好きで真綾を聴いていた。『水っぽーい声。水滴がいっぱい。』とは『坂本真綾の一番の魅力とは?』という質問への6年前の菅野よう子の回答だが、まさにこれである。真綾の声を透明と形容する文章はよく見かけるが、こちらの方がより自分の印象に近い。菅野さんの感性に脱帽した記憶がある。

一番熱中して聴いてた時期だと、具体的に「この曲のこんなフレーズのこの母音の響きが良い」ってレベルまで真綾の声を噛み砕いて聴いていた。歌詞の意味とかは完全にそっちのけで、鼓膜の振動に快感を覚えていたと言っても過言じゃない。『変態だろ』という意見については甘んじて受け入れる。

それがリリースを重ねるに連れ、「この部分の声がいい」という『ポイント』が少なくなっていった。完全に無くなったわけじゃないし、他の歌手に比べれば圧倒的に多かったのだけど、聴いてるだけで至福とまではいかなくなった。それは、編曲やマスタリング、あるいはプロデューサーが誰かという問題ではないと思う。確かに菅野よう子以上に真綾の声を意識して楽曲を提供した人は居ないと思う。けれど、後期の菅野曲においても上記の『ポイント』が自分の中では減っていってたからだ。

真綾の声は変わっていった。
レミゼを始め様々な経験を積んで、確実に声量は増していったし、音域は上に広くなり、表現力も増した。今回のライブで『奇跡の海』『マメシバ』『僕恋』辺りを聴いた人なら納得するだろう。自分もタナボタ3からライブに参加するようになり、CDを聴いていた時は予想もしなかった所で、それは主に高音域だったのだが、歌声に魅了されたりもした。

でも、その変化は『パイロット』のような、「歌唱力ではなく声質に特化して作られた」(と俺は思っている)曲の魅力(俺にとっての)を殺すことになったんだと思う。CD版の声を期待していて、悪い方向に裏切られたというわけだ。書いてるうちに自分が単なる馬鹿に思えてきたが、一応最後まで続けよう。

PAに依存する大ホールのライブではなくて、去年のグローブ座よりももっと小さなハコで聞けば、また違った印象を受けるかもしれない。これから先にリリースされる楽曲で、『CALL YOUR NAME』に受けたあの衝撃を再び感じるかもしれない。その時は喜んでこの認識を覆そう。しかし現時点だと、真綾の声の変化が自分の最も好ましい方向からはズレていたということになる。


こうなると真綾の変化、或いは成長を自分が受け入れられるかどうかの問題でしかない。ここまで展開できた時点で、答えは出たようなものだった。少なからぬ人がそうだと思うのだが、自分は坂本真綾の生き様に惚れている。最初にそれを意識したのは『おきてがみ』を理解した時だったと思う。あの人は自分より強い人間なんだと思って、羨ましくもあり、誇らしくもあった。

かぜよみツアーでは歌と同じくらいMCが意味のあるものだったと思う。開演から終演まで余すところ無く坂本真綾に満ちていた。多くの人のレポや感想を読んだが、ある程度コアな感想になると必ずと言っていいほど『光あれ』前のMCには触れていた。自分の人生に真摯に向き合ってる姿は、歌手や表現者という枠を超えて、人を惹きつけてやまないのだろう。

今までの全ての楽曲、人生があって『かぜよみ』に辿り着いたとまっすぐに語る真綾を、眩しいと思いこそすれ、目を背けることなんて出来るはずもなく、自分はこれからも好きで居続けるんだろうなと思えたのが、深夜バス内での自問自答のお話でした。


前にも書いたように、東京は名阪に比べてかなりスッキリした気分で最後までライブを楽しむことができました。ひょんな事から短期間に同じ歌手のツアーに複数回参加するという、生まれて初めての経験をしたわけだけれど、結果的には大正解だったと思ってます。今年はレミゼで忙しそうで、リリース活動は控えめっぽいけど、機会見つけてエポニーヌ真綾も見に行こうかな。最後まで読んでくれた方は、お疲れ様でした。