ライブレポを書く行為

最近のエントリーに限ればだけど、このブログのメインコンテンツはライブレポのはず。お陰さまでここ最近、ページビューだけは過去に無い勢いで回ってる。けど、先月に参加したkalafinaのライブレポを書いてる時に、レポート書くのしんどいなーとハッキリ思った。別にkalafinaのライブが良かった悪かったという問題じゃなくて、今までもレポートを書くときにぼんやりと感じてた苦痛を、原因も含めて明確に意識したというのが正しいんだと思う。
ライブそのものは楽しんだはずなのに、なんでレポを書くのに辛い思いをしてるのか。セトリ個別に感想書いてる場合だと、書くこと見つからなくて辛いってのもあるけど、今回のエントリーで取り上げるのは別の答え。

書いてるレポにネガティブな感想が少なからず含まれているから

というもの。無駄に引用表記
自分でネガティブな感想書いて自分で辛がってるんだから世話ないんだけど、それでも自分なりには必要だと思って書いてたりするわけだ。なぜ必要かというと、『全部が全部100%最高だった』という類の感想を読んだ時の俺の率直な感想は『うさんくせー』だから。似非相対主義者で日頃から嗜好以外の意見を認めたがらない割に、他人の嗜好を全肯定出来ないんだから我ながら性質が悪い。
勿論、個々の要素をきっちり取り上げてなぜ素晴らしいと思ったかを丁寧に書いてあるレポを読んだ時は、素敵なライブだったんだろなーと嘆息もする。けれども、実際に全部の曲でそこまで具体的な感想を書けるほど音に集中して聴き込んでた人ならば、どっかしら残念に思う場所もあるのが普通だと思う。感じたこと全てを書く必要もないし、余計なこと書かないのが大人と言われたらそれまでなんだけどさ。
そもそも、幸せな空間に身を置いてる人が、なぜ自分が今幸せかを分析的に考える方が不自然だし、心地よさを遮られるような『何か』が在った時というのは印象に残りやすいのだと思う。そして、他人に自分の感じたことを伝えようとしてレポートを書く際も、漠然と心地よかったことに具体性を持たせるよりは、不快に感じた点を伝える方が圧倒的に簡単だ。
と、ある程度は自分が陥った状況の整理が付いた所で、今後のライブ及びそのレポートへどう反映させるかなんだけど、これに関してはまだ結論が出そうにない。レポート書くことを考えてライブに参加するのは、なんかライブを楽しむ方法として間違ってる気もするし、でも他の人の感想を読むのが大好きだから自分も何らかの形には残したいジレンマ。
今週末の真綾と来週のFROG、来月の妖精帝國辺り参加しながら、ライブに対する自分のスタンスを煮詰めていきたいなといった所で本日はお開き。