ライブに参加してふと思った

第25回、今回のテーマは『ライブに参加してふと思った』
お題は自作だけれど、ふと思ってから4ヶ月経ってるので、何を思ったのかが既に怪しい。
というわけで少しばかり怪しいのだけれど、多分こんな事だったんじゃないかなと書いてみる。
自分が参加するライブのお客さんの傾向として、地蔵スタイルでステージを見ている人が少なくないというのがある。坂本真綾を初めとして、清浦夏実も、牧野由依も、kalafina(ここは半々くらいか)も、新居昭乃も大体そうだ。唯一の例外はアイマス系統くらいだろうか。
地蔵スタイルとは何なのかを説明すると、お客さんが地蔵のように、つまりは客席で微動だにせずステージ上を凝視しているスタイルである。手拍子する地蔵も少なからず居て、それは地蔵ではないだろと言われればその通りなのだけれど、今回の本旨からは逸れるので、ちょっと我慢して読み進めて頂きたい。自分がいつからこのような表現を使うようになったかは覚えてないが、少なくとも『WE ARE KAZEYOMI!!』という坂本真綾のライブDVDがリリースされる時の、先行試聴動画を見た時にはその表現を用いたように思う。
で、この地蔵という表現には、お客さんの盛り上がりが小さいというやや自虐的なニュアンスを含むと同時に、サイリュームを振り回したり、曲に様々な方法で合いの手を入れたりといった、最近のアニメ・声優界隈のライブでは御馴染みとなっている行為への反目が含まれているんじゃないだろうか。少なくとも僕はそういう意味を込めて使うことがある。本流に乗り切れないマイナーからの僻みの可能性は大いにある。というか地蔵という単語を持ち出したのが失敗だった。今回の主旨からズレてきたから強引に戻す。別に地蔵や地蔵じゃない何かをdisりたいわけじゃないのだ。
友人にヲタ芸を打つのが好きな人も少なからず居るし、ライブでサイリューム振って盛り上がったり、怒り狂ったオームの群れみたいな発光*1をしながら『eternal blaze』って叫ぶのが好きな友人もいっぱい居る。アーティストと一体となって観客がライブを盛り上げるってのは、1つのスタイルとして凄く良いことだと思うのだけれど、そこにあるのは安心感なんじゃないかなーというのが、今回のコラムで一番言いたかったことであり、『ふと思った』ことなのだ。
『とあるアーティストやアイドルのファン』と一括りに表現したとしても、その中には色んなスタンスの人がいて、好きな部分が違ったり、好きの度合いに温度差があったりする。ましてやライブ会場にはファンだけじゃなくて、友人に誘われたから何となく来た人も居るだろう。そういう種々様々な人が限られた空間に押し込められてるのがライブだったり、コンサートだったりするわけだ。「ここに居るのはみんな〜〜のファンなんだー幸せだなー」とポジティブに全肯定することも可能だろう。けれど、赤の他人と身体がくっ付きそうな至近距離で、何故に短くない時間を過ごさねばならんのだと、冷静に考えることだって不可能じゃないはずだ。
そういう時に、みんなで揃って身体を動かし、同じタイミングで声を張り上げることは、自分はその空間に『相応しい』、あるいはより消極的な表現をとるならば『居ても問題のない』人物だということを、周囲にもアピールすることに繋がるんじゃないかと考えてみた。「ちゃんとこの場でのお約束を知ってる仲間だよ。すぐ傍に居て今まで一度も喋ったこともないけれど同じ文化を共有してるよ。」というサインとして、オタ芸が機能してるんじゃないのかなーというアイデアはそこまで的外れでもないんじゃないかなーと思うのだけれど、どんなもんでしょうか?
軽く読み返してみた感じ、全体のバランスを考えるとここからもう1つ膨らませることが望ましいのだけれど、今の段階で思いつくことが殆ど無いから、このまま終わらせてしまおう。お地蔵様こと僕はライブ会場でどういう気分で過ごしてるのかというと、石のように皮膚を固めて外界からの刺激を退けて、ステージ上の対象と自分との1:1の空間を形成してるんじゃないでしょうかね。

50分くらいかかったかも