期待生涯効用最大化

父方の叔父がすい臓がんの末期であり、余命半年だということ今日知りました。先日、胃の辺りが痛むというので病院に行ったところそのような診断を受けたそうです。叔父は延命治療を希望せず、痛みは薬で散らしながら入院せずに残りの人生を過ごすことにしたようです。
一昔前の日本の医療では、患者に癌の存在を表だっては知らせずに治療を進めていくことが一般的でした。父方の祖父も癌だったのですが、祖母や父は相談の上で祖父には最期まで癌だということを知らせずに治療を続けていました。当時幼かった自分としては、祖父がどの程度自分の体について認識していたかは定かではありませんが、自分の体に巣食った病魔に関して何らかの予感は抱いていたと思います。
病院で抗がん剤の投薬や手術によって命を長引かせるよりも、180日しかないと覚悟した上で家族や友人と過ごすことを選ぶ、世間的にはターミナルケアでのQOLの問題として頻繁に議論に上がるケースです。どちらを是とするかは叔父の価値観の問題であり、それに価値判断を下すつもりはありません。それが自分のスタンスですから。
ただ、今の自分が叔父の人生から学び取るべきものがあるとすれば、不確定な未来にどの程度の価値を認めるかということなのかなと考えます。日本人は平均として80前後で死にますが、誰一人として正確に寿命を把握している人は居ません。半年の命と言われた叔父ですが、1年後に生きているかも知れないし、1月後に亡くなっているかも知れません。
QOLという概念は、その人にとってより幸せになることをするべきだ、という個人主義の上に成り立っています。もし今、『あなたの人生にとって幸せが一番大きくなるように、これからの人生を送りなさい』と言われた時に、皆さんはどのような行動を取るのでしょうか。